ダライ・ラマが人間性について最も驚いたことは何かと問われたときの答え。
「人。金のために健康を犠牲にし、健康を取り戻すために金を犠牲にし、未来が心配なあまり現在を満喫できない。結果的に人生は今日にも明日にもなかったようなもの。死がないかの如く生き、生がなかったの如く死ぬのだから」
Dan Kogai - Google+ - Humanity https://plus.google.com/103748274114027132441/posts/QyKZ9U9f9nc
「馴れ馴れしい」人は、こちらをこじ開けようとする。「親しみやすい」人は、自分をまず開く。その違いは大きい。
コトノハ - 馴れ馴れしい人が×
2010-04-23 (via uinyan, rpm99) (via exposition) (via inujita)
2011-10-22
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本質的に人間の脳は、実体としての身体からのフィードバック情報により、脳内に仮想の身体を構築することで、自ら人間たりえている。
個人的に好きなエピソードは、中島らも氏か町田康氏かリリー・フランキー氏が体験した話で、定食屋かソバ屋のじーさんがいて、仏のような人格者だった。どんな客が来てもいつも笑顔で礼儀正しい。こんないい人はいないと言うと、じーさんは謙遜する。
で、みんなでご飯注文したら、じーさんの奥さんであるばーさんが食器を運ぶ。で、なぜかばーさんが手違いで箸を落とした。
じーさんは、その場でばーさんを「お客さんになにしてんだ、ババァ、死ね!」みたいな感じで罵り、鉄拳と灰皿か食器で殴って出血。ばーさんは鼻血を出してのたうつ。ばーさんが箸を落としたのは、じーさんに心底怯えていたからだった。
その場にいた人が思ったのは「ああ、全方面に良い人でいるのは、人間には不可能で、良い人に見えたとしても、たまたま良い人に見える方角に自分が立っていただけ」だそうな。まさに。
私が人格者という評判を信用しないのはそゆこと。